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エコロジーを語る時、世界一のエコロジー先進国であるデンマーク抜きでは語れない。
第一次オイルショックの時エネルギー自給率は2%(1972年)だったものが1997年には100%に達している。
1870年代、アメリカ、カナダ、オーストラリアから大量の穀物がヨーロッパに輸入され、デンマークの穀物中心の農業は打撃を受けたが、現在は畜産品を主に食料品の自給率は300%である。
1960年代半ばから始まり、1983年、底となった出生率は徐々に回復傾向にあり、デンマークの少子化対策は完了したとまで言われている。
2005年の国民1人当たりGDPは4万8000ドルでスイスについで世界4位である。
英国経済誌「エコノミスト」誌系の調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが発表した
最新のビジネスがし易い環境ランキングで、デンマークの経済環境が世界第1位に選ばれた。
累進課税の所得税、地方税合計課税税率は最高59%で、付加価値税は25%だが、社会保障は充実していて国民の満足度は高く、選挙の投票率は80%以上にも及ぶ。
世界一住み易い国とも言われる北ヨーロッパの小さな大国デンマーク(正確にはデンマーク王国)について調べてみた。 |
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■デンマークと日本 |
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デンマークは国境を接するドイツ北部からのびるユトランド半島と北海やバルト海に浮かぶ大小400個ほどの島々と、自治領のフェロー諸島とグリーンランドからなる。
約4.3万km2(フェロー諸島及びグリーンランを除く)で九州とほぼ同じ面積に約541万人(2005年、フェロー諸島及びグリーンランドを除く)が住んいる。
マルグレーテ2世女王(1972年1月即位)を元首とする立憲君主制である。
首都はコペンハーゲンで人口は約50万人(2003年)。デンマーク語を話し、EUに加盟しているが通貨はクローネ
(本日は1クローネ=約20円)である。
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ユトランド半島は全体に平坦で、平均標高は約30mである。デンマークの最高峰のユーディングスコウ山でさえ173mで、大きな川も無い。比較的標高が高い東海岸ではフィヨルド地形も見られる。
樺太と同じ緯度ながらメキシコ海流の影響で比較的暖かく、高い山が無いため雪も少ない。
国土の60%が農地に使われ国民の3%が農民で大麦・小麦・ライ麦・燕麦等の穀物栽培と豚、鶏 牛の畜産を営む。
鋳物、金属、ディーゼルエンジンなどの機械、衣料や繊維産業、家具、造船、化学、セメント、製薬、ビール醸造、電子機器、陶磁器、自転車、製紙などの工業が盛んで、輸出額では工業製品のほうが多い。
国民の生活はEUの中でも最高水準を保っており、たいへん豊かな国です。
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デンマークと日本には幾つかの共通点がある。
デンマーク王室はヨーロッパ最古の王室と言われ、その紀元はバイキングの一族の王ゴームの建国(935年)まで遡る。
一方皇室も千何百年の歴史を持ち、両家の親交は厚い。
両国とも資源に恵まれず。(現在はデンマークは石油、天然ガスに恵まれている)勤勉で控えめな国民性と創意工夫で、劣勢を挽回してきた。日本の国民一人当たりのGDPは3万5000ドル デンマークは4万8000ドル(ルクセンブルグ、ノルウェー、スイスに次いで世界4位)
外貨準備高 日本8300億ドル、デンマーク329億ドル(いずれも2005年)。
両国とも13000年前から人が生活していた。日本では縄文時代、デンマークでも狩猟民族の遺跡が数多く発掘されている。
0年頃鉄器がもたらされたのも同じ頃。日本の平安時代(794〜1185年)にはデンマークはバイキングの時代(793年〜約300年間)となり、ハンブルク、ケルン、ロンドン、パリを破壊し、ロシア、フランス、イギリス、シチリア島に王朝を築き、アイスランド、(アメリカ)、グリーンランドを発見、入植した。ヨーロッパ中を震え上がらせた伝説の時代である。
1448年オルデンブルグ家が世襲王家として認められた(オルデンブルグ朝)。この王朝の元でデンマークは北欧の強国として成長し、1460年には懸案だったスレースヴィー=ホルスタインの領有化に成功する。
また海軍も強化し、宿敵であったハンザ同盟を破って、バルト海の覇者になった。
この時代、デンマークは、カルマル同盟を結びノルウェー、スウェーデン、フィンランド、グリーンランド、アイスランド、フェロー諸島を支配下に置き、北海からバルト海をまたぐ超大国となった。
しかし、この頃がピークでカルマル同盟が解消されたり、度々戦争に負けて、領土を失っていった。
1848〜1850年、1864年の二度にわたってプロシア、オーストリアとシュレスウィヒ州・ホルスタイン州の両州をめぐって戦争となった。この戦争に破れたデンマークは両州を失い、現在の領土となる。
現在は本土以外はフェロー諸島とグリーンランドに自治を認めて領有しているだけである。
1784年にフレゼリク6世が父王クリスティアン7世の摂政となり、農民解放・自作農化・農地改革を実行した。
地主の下に隷属させられ、過酷な労働を強いられていた農民は解放され、農地を開墾し大麦・小麦・黒麦・燕麦・牧草などの作物で豊かになっていく。
1884年グルントビの提唱による農民解放運動の一環として、フォルケホイスコーレ(民衆高等学校)がはじまった。
今ではデンマークの農民は欧州において最も教養が高いと評価されている。
1870年前後から、アメリカ・オーストラリア・カナダ等の諸国がヨーロッパの穀物市場に参入したのを契機に穀物価格が下落したため、官民一体となって、それまでの、穀物生産主体から酪農製品主体へと転換させ、世界初の共同組合の設立もあり、現在は穀物でも自給率100%、食料品全体の自給率は300%になっている。
畜産品だけを見ても豚肉490%、牛肉115%、鶏214%と極めて高い自給率となっている。とりわけ豚肉の80%は輸出される。
さらに産業革命によってデンマークは近代産業国家への道を歩み始めた。
1600年頃の日本は人口1220万人で、ヨーロッパの最大国フランスの1800万人にこそかなわないが、イタリアの1300万人に肩を並べ、イギリスの700万人、オーストリアの800万人、スペインの600万人をしのいでいた。
諸侯の兵力を合計すると100万人、鉄砲の数は全ヨーロッパの合計より多く、世界トップクラスの軍事、経済大国であった。
しかし、江戸時代の太平を謳歌しているうちに、欧米に水をあけられ、あわや植民地にされるかと言うほど弱体化してしまった。
明治時代に入るとすぐ(1867年)デンマークと修好通商航海条約を結び、1873年には岩倉具視使節団がデンマークを訪問しています。
富国強兵のためにも、いかにして農村を立て直し、農村振興を計るのかは、町村指導者や農業関係者の間の大きな課題となっていた。
こうした中、デンマークがプロシア、オーストリアとの戦争に破れて荒廃した国土を、短期間のうちに豊かな農業国家へと立ち直らせたことが、当時の日本が置かれた農村の状況を打開するための大きな参考になったと考えられ、デンマークに関する本が度々出版され、いつしか農村にとって理想の国として憧れるようになった。
現在の両国の関係は良好で、名古屋万博でもフレデリック皇太子、メアリー同妃が、2004年11月にはマルグレーテ2世女王が2度目の公式訪日をされたが、その度、経済使節団が大挙して同行し、経済交流の発展に期待感をにじませた。
デンマークは欧州で数少ない対日貿易黒字国で、日本からの輸出品目は、自動車、通信機器などで7億5000万ドル、反対にデンマークからの輸入品目は、加工用冷凍豚肉、チーズ、医薬品、風力発電機、家具などで19億4000万ドル(2005年)、貿易品目構造が相互補完的な構造となっている。
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■デンマークのエコ事情 |
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しかし、最近30年の両国のエコロジーの歩みには天と地ほどの違いがある。
デンマークはエネルギーの殆どを中東からのを輸入原油に依存していたためエネルギーの自給率は2%(1972年)であった。
1973年第一次オイルショックの年、1バーレル2ドル以下だった原油価格は10ドルに跳ね上がり、その後35ドルまで上がった後13ドルから19ドルで長期安定したが、中国、インドなどの需要の増大から2006年75ドルを突破している。
デンマークはもともと環境問題に関心が有りましたが、これがきっかけとなり、エネルギー、エコロジーに更に強い関心を持ち、次々と対策を打ち出して行きます。
1976年「エネルギー計画1976」
・北海油田の開発
・発電余熱と天然ガスを利用した給湯計画の実施
・補助金制度を導入した省エネの奨励
・エネルギー税の導入
石油火力発電所を石炭火力に変える政策に乗り出し、1990年には石油による発電は半減し、石炭による発電が35倍に増えた。
エネルギー利用効率の高いコージェネレーション(熱と電気の併給)の普及に取り組んだ。
コージェネレーションは従来の火力発電所の発電システム(電気エネルギー35%、利用していない廃熱60%) に比較して、電気エネルギープラス熱エネルギーで総合効率が約70〜80%(電気エネルギー30%、熱エネルギー 40〜50%、利用していない廃熱20〜30%)と高くなり、エネルギーを最大限に効率良く使うシステムとして有望視されている。
地域暖房にはコージェネレーションを促進し、その普及率は1972年29%から1988年55%まで向上した。
1977年から建築には断熱が義務付けられた。
1979年から、風力・わら・木屑・バイオマス及び廃棄物を含む主要な再生可能エネルギーを利用した発電設備の建設費に補助金制度をつくった。
1977年エネルギー税の導入。
1982年議会は北海油田の開発に本格的に力を入れることを決議し15カ所の採掘 を許可した。
1992年頃から石油の純輸出国となり、1997年になるとエネルギー輸入と輸出がほぼ同じになった。
2000年にはエネルギー自給率は137%になり、電力はノルウェー、ドイツに輸出するまでになった。
1985年 原子力発電に依存しない公共エネルギー計画を議会が決議
デンマークの原子力発電の放棄を語る時、フォルケホイスコーレ(民衆高等学校)と風力発電の二つが重要なキーになる。
第一次オイルショック直後(1973年)電力会社は全国に15箇所の原子力発電所の建設計画を発表する。
それに対して「OOA」(原子力情報組織)という全国規模の環境NGOの組織が発足し、政府のエネルギー計画に対案を出し、メディアなどを通じて社会的な議論を喚起するとともに、地域でのエネルギー問題への関心を高めるために、15カ所の原発候補地に「エネルギー情報センター」も設けた。
その結果、首都コペンハーゲンの対岸に、スウェーデンがバルセベック原発を建設したことが大規模な原発反対デモを引き起こし、1979年の米国スリーマイル島原発事故によって、世論は決定的に原子力発電の放棄に傾き、1986年のチェルノブイリ事故の前年、1985年、原子力発電に依存しない公共エネルギー計画を議会が決議した。
フォルケホイスコーレ(民衆高等学校)は、グルントビの提唱による農民解放運動の一環として、1884年に最初に作られた私立学校で、17歳以上なら誰でも学ぶことができる生涯教育機関だが、詰め込み式の授業と違い、カリキュラムは自由で、現在100校がデンマーク国内にあり、世界中に広がっている。17歳から87歳の生徒も居るそうだ。
試験を拒否し、資格も与えず、全寮制で教師と学生が共同生活をして教養や社会性を学び、助成金は受けていても国家の干渉を受けない自由の学校だ。
デンマークではここの出身者が多く、社会の重要なポストに就いていることも多い。
原子力発電の賛否が議論された際にも、フォルケホイスコーレの出身者が賛成側にも反対側でも重要な役割を果たした。
原子力発電の対案の象徴となった風力発電も第一号が19世紀末フォルケホイスコーレの教師によってフォルケホイスコーレで使う電気用に開発されたのを始め、学校のテーマとして沢山のフォルケホイスコーレで風力発電が自作されている。
温暖化、オゾンホール、大気汚染に対する関心は更に高まり、地球に優しい政策が打ち出された。
1990年 「エネルギー2000年」
地球が持続可能な発展を維持するため、デンマークの果たすべき目標として、
・エネルギー消費量を2005年までに1988年水準比15%削減
・二酸化炭素排出量を2005年までに同20%削減
を掲げ、この目標達成のための方策として次の施策を掲げる
・エネルギー消費量の削減
・エネルギー供給体制の効率化の改善
・クリーンエネルギーへの切り替え(その中で、風力発電は、電力消費量の 10%にまで高める)
・研究開発の奨励
エネルギー消費量の削減のために、断熱材を使うなど、家庭での取り組みはもちろん、様々の分野で省エネルギーの試みが成された。スーパーマーケットでは、省エネ電子式制御技術が活用されています。これは、スーパーマーケットにおける冷凍・冷蔵システムが、電力消費量全体の実に20〜50%を占めていたことに着目し、このコスト削減に大きな効果をもたらしました。
デンマーク国内だけでも約1500店舗が20%以上(1985年時比)のエネルギーの節約を実現しました。
エネルギー供給体制の効率化の改善には前に紹介したコージェネレーション(熱と電気の併給)を更に進めています。
クリーンエネルギーでは特に風力発電に大きな注目が集められ、デンマークのエコロジーの象徴になっています。
2005年にクリーンエネルギーは電力消費量の20%を担っています。
1995年 炭素税(環境税の一つ)導入
石油・石炭などのエネルギーから、風力やバイオガス(家畜の糞尿を利用)などのクリーンエネルギーへの転換を促進するため に炭素税を導入。
1996年 「エネルギー21」
2030年までに海上風力発電所を合計400万キロワット建設し、2000年の設備量170万キロワットと合わせて 電力消費量の50%を風力発電で賄う計画を立てる。
温暖化、大気汚染を考えたとき、火力発電を減らしクリーンエネルギーを増やす事が必要と言う認識が世界中に広がっている。
デンマークを先頭にドイツ、オランダ、スウェーデン等の成功が良い見本になっている。
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■日本のエコ事情 |
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日本では1973年エネルギー自給率は23%(水力発電と自給石炭による火力発電があったため)でデンマークよりは恵まれていた。
しかし、安易に原子力発電に走り、石油一辺倒から燃料の分散化を図ったものの、エネルギー自給率は4.3%、石油に対する依存度50%になりました。(2003年)
そして、食料の自給率も60%(1970年)から40%(2001年)と危機的に減少。
原子力発電は度々事故を起こし、1999年の東海村の事故ではもっと広範囲の住民を避難させるべきだったのではないかと言う学者も居ます。
長い間自動小銃を持った警備員すら居ず、ゲリラには無防備だった。
初期の原子力発電所は寿命で解体する時期が来ていますが、莫大な解体費用と放射性廃材をどうするのか、大きな問題になっています。
そのコストを考えたら原子力発電のコストは安くないと言う学者もいます。
不可解なのは北海油田どころか中東油田に匹敵する埋蔵量といわれる東シナ海の開発を未だに手も付けず、中国に吸い取られ始まった事です。
何か長期的国家戦略があるのか、それとも只の無為無策なのか。
気になるのは過去に無為無策ゆえに国の利益を大きく損ねた事が何度もあることです。
30年ほど前アメリカの大豆が不作から輸出禁止になり、世界各国は食料自給の大切さを思い知って改善に乗り出した。
ドイツは68%を91%に、イギリスは46%を74%に、スイスは46%を54%に、フランスは104%を130%に、アメリカは112%を119%に、韓国でも46%を49%にと努力している。(いずれも1970年から2002年、農水省資料)
日本だけ60%を40%に下げる政策をとったのはなぜか。
少子化は今、日本も含めた先進諸国が直面する共通の課題となっています。このうち、欧州各国では早くから、子育て家庭への経済的援助、仕事と家庭の両立支援などを中心に対策が進み、出生率の低下に一定の歯止めが掛かっています。
フランスは、国際的にも高水準の多様な子育て支援策を実施しています。
柱となる児童手当制度は「家族手当」として第2子に月額約1.5万円、第3子以降には月額約1.9万円を20歳未満まで支給。
03年からは11歳以降の支給額について月額数千円が加算されました。所得制限はありません。
片親手当、子ども1人7.6万円、1人増えるごとに1.9万円/月住宅手当なども整備されています。
妊娠4ヶ月から3歳まで月2.3万円の乳幼児手当支給、出産休暇は最低8週間の取得が義務付けられており、休暇前賃金の80%の給付が受けられます。
育児休暇は3年間、全日休暇やパート労働などを組み合わせて取得できます。
同様にヨーロッパの各国は少子化対策のためDGPの3.8%(デンマーク)3.2%(ノルウェー)2.8%(フランス)2.2%(イギリス)1.9%(ドイツ)を使っています。(2001年OECD調べ)
日本ではGDPの0.6%で出産費用ですら自費です。
結果、韓国についで低い出生率(1.25)でデンマークの1.78に遠く及ばず2006年から人口が減少し始めました。
無駄な公共工事を止めて、こちらに予算を回せないのはなぜ。
1965年、戦前の失敗から封印していた赤字国債が戦後初めて発行され、1975年大平内閣の時、本格的な赤字国債に依存した予算が組まれるや(依存率26.4%)留まるところを知らず、GDPすら超えても止めるつもり無く増やし続け、残高1000兆円も視野に入る状態でようやく、危機が議論され始めた。
その間欧米では財政は健全化している。
日本だけがなぜ、これほど財政を危機的状態にしたのか。
日本で高速道路が作られ始まった頃、30年後は無料になると聞いた覚えがあるが、それどころか世界一高い高速料金になった。ドイツ、イギリスは無料、アメリカは一部有料だが3円/km、フランスも一部有料7円/km、イタリア5円/km、韓国3円円/km、日本は25円/km。
しかも、通行料で建設費をペイできる見込みの無い道路がまだまだ作られそうなのはなぜ。
30年前は世界一安全と言われた日本だったが、犯罪の検挙率がアメリカ以下で、先進国中最低になったのはなぜ。
最初に産業革命を起こしたイギリスだったが、技術者を大事にする政策を採らなかったために、取り返しの付かない技術者不足に陥った。その失敗をみてドイツはマイスター制度を創設し、技術大国ドイツの原動力となった。
例えばバブル時大田区の町工場の数は1万社を数えたが、現在6千社台にまで減った。全国で同じ事が起きて日本の草の根の製造技術に赤信号が灯っている。
イギリスのNVQ(国家職業資格)、フランスのバカロレア、ドイツ、スイスのマイスター制度など、欧州各国では職業資格と結びついた専門教育制度があるが、日本ではそんな制度は無く、みすみす技術立国が危うくなろうとしているのを手をこまねいているのはなぜ。
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崖っぷちに立った日本をどうしたらいいか、小学校から英語教育なんてトンチンカンな事を言わずに、人として、社会人として、国民として生きるために必要な事から優先的に教えるべきだろう。
フォルケホイスコーレ(民衆高等学校)で問題意識の持ち方、議論の仕方、解決の探り方、皆で決めて皆で実行する事を学んだ人たちの国を学ぶべきだ。
結局、選挙の投票率に現れているように、自分の国や社会を自分たちが変えていこうとするか、どうあるべきかに無関心でお上が決めた通りに流されていくのかの違いが日本とデンマークのこの30年の結果に現れていると思う。
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■日本の市民エネルギー事情 |
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ネットサーフィンで見つけたサイトがある。
NPO法人環境エネルギー政策研究所である。
そのコンセプトは
持続可能なエネルギー政策の実現を目的とする、政府や産業界から独立した第三者機関です。
地球温暖化対策やエネルギー問題に取り組む環境活動家や専門家によって設立されました。
自然エネルギーや省エネルギーの推進のための国政への政策提言、地方自治体へのアドバイス、そして国際会議やシンポジウムの主催など、幅広い分野で活動を行っています。
また、欧米、アジアの各国とのネットワーキングを活用した、海外情報の紹介、人的交流など、日本の窓口としての役割も果たしています。
市民ファンドを活用した市民風車、太陽光発電事業なども発案し、関係事業体である且ゥ然エネルギードットコムによって実現しています。
2000年12月日本初の市民風力発電事業「はまかぜちゃん」を北海道にたちあげたのを皮切りに、秋田、青森、茨城、千葉、長野、岡山、兵庫県に市民ファンドによる風力、太陽光発電、バイオマス事業を推進している。
市民が出資して、エネルギーを生み出し、電力会社や市役所などと長期契約を結んで安定した売り上げ利益を得て出資金の返還が安定的に行なわれている。
因みに第一号の「はまかぜちゃん」の場合、ひつ口50万円に対して、5年間で、元本返還分と配当金で合計21万5300円が支払われた。
魅力的な投資でクリーンエネルギー政策に参加できる。
主催している飯田哲也氏は京都大学や東京大学で原子力を学んだ後、原子力行政に疑問を抱いて、自然エネルギーの推進に情熱を傾けることになった自然エネルギー推進の第一人者です。 |
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■日本製の小型風力発電機 |
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家庭用風力発電機ではこれがお勧めです。
1990年山水電気の社長を辞任した伊藤瞭介氏が1996年に3人で始めたゼファーは現在資本金5億4000万、実績4500台を上げ、2010年には世界の小型風力発電機の世界シェア15%を目標にしている、この分野で世界と競争できる企業です。
2006年版環境ソリューション企業便覧
 
ゼファー家庭用風力太陽光ハイブリット発電システムOWL(アウル)
388.500円(税込)
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デンマークのエコ事情に関する図書室
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